10. 派遣切り


変な言葉が定着しつつある。「派遣切り」である。
丁寧に言えば「派遣社員の解雇」ということであろう。


派遣社員にも、種々の人がいる。正社員になることを希望しているのだが、何らかの理由で正社員になれない人。正社員になることを要請されているのだが、拘束されることを嫌って正社員にならない人。雇う方にも、雇われる方にも、選択する権利があって一見、良さそうに見えるのだが、それは好景気の時の話である。

好景気の時であれば、派遣社員は解雇されても、或いは自ら会社を辞めても、すぐに次の仕事にありつける。容易に転職が可能である。しかし、100年に1度とまで言われる今回の経済危機において、トヨタ、日産、マツダ、スズキ、キャノンのように一度に数百人、数千人規模の解雇と言う状況では、話は簡単ではない。

もともと派遣社員は期間を区切って雇用され、雇用契約書にもその旨が明記されているのであるから、雇用期間が経過すれば、解雇になったからと言って雇用主を責めるわけにもいかない。倫理上はともかく、法律上は何の責任も無いはずである。さらに雇用主側からありていに言えば、景気が悪くなって人件費を削減したい時のための派遣社員なのである。

しかし派遣社員側から見たとき、状況は全く反対になる。解雇されたら次の仕事を見つけることがどんなに大変なことか。大半の会社が人減らしを考え、でき得れば、正社員でさえリストラと称して解雇されかねない状況なのである。何とかしてくれ!と叫びたくもなろうと言うものだ。

本来ならばこういう時こそが政治の出番ではなかろうか。いたずらに与野党が対立し、無為無策で時間だけが過ぎて行く愚は、見ておれない。

                                  タイ(チェンマイ)

さて、ここでマルクスが資本論で説くところの「剰余価値」について一考してみたい。

商品の価値=不変資本+可変資本+剰余価値

これはマルクスが説く商品の価値を示す公式である。

@     剰余価値は生産過程で生産され、流通過程では生産されない。但し、実現されるのは流通過程においてである。(資本論第1部第4章)

A     剰余価値は可変資本(労賃・人件費)から生まれ、不変資本(労賃・人件費以外の費用)からは生まれない。(資本論第1部第6章)

B     そして資本家は、労働者を雇用して、そこから生じる剰余価値を搾取している。

簡単に言うとマルクスの言う剰余価値論とはそれだけのことである。

ここにおいて、剰余価値にはプラスの剰余価値とマイナスの剰余価値が考えられる。つまりプラスの剰余価値は資本家側の利益に貢献し、マイナスの剰余価値は、資本家側の損失を招く。しかしマルクスによれば、剰余価値がプラスであるのは自明であり、マイナスの剰余価値はありえない。

しかし、仮に剰余価値が常にプラスであるならば、

商品の価値=不変資本+可変資本+剰余価値

の公式に照らしても、資本家側が損失を招いて赤字決算になることはありえない。

剰余価値にもマイナスがあるから、商品が言わば資本家のもくろんだ価値どおりに売れなくて、赤字になるのである。

また、剰余価値が常にプラスであるならば、不景気だからと言って、労働者を解雇する必要も無いであろう。剰余価値は、可変資本(労賃・人件費)から生ずるのであり、人件費を削減すれば、剰余価値が減ることはあっても増えることは無いのである。

剰余価値にマイナスがあることを認めなければ、資本家側が労働者を解雇する理由が見当たらない。派遣切りが盛んに行われる理由が説明できない。

フランスの社会主義者、プルードン(180965年)は、マイナスの剰余価値もありうると主張していたが、当時はマルクス側の勢いが強く、プルードンの主張はかき消されてしまったようである。

しかし、ここへきて昨今の、トヨタのあわてた、しかも数千人に及ぶ期間従業員の解雇を目の当たりにしたとき、剰余価値は常にプラスである等と、とぼけたことは言っていられないのである。

剰余価値論は資本論の根幹を成す理論である。それが見直されなければならないとしたら、・・・・・大変なことになりますぞ!!

     プラスだけの剰余価値論と恐慌論は、矛盾しないのか?

     つまり、剰余価値が常にプラスならば、そもそも恐慌なんか起こるまい!!

                                    タイ(チェンマイ)


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